春
思えば毎年マリウスくんのお誕生日を迎えるときには、かさねてきた思い出にもういちどたましいを飛ばしながら、あ〜このひとのことをすきでいられるってほんとうにわたしは幸せものだなあ、と普段よりもすこしばかり浮ついた、でもすごくあたたかい気持ちになります。
わたしにとってたいせつであこがれで、宝物みたいな光。22歳だね。22歳になったんだね。
ずっとわたしの特別だった。
めまぐるしい時間の流れにみるみる足元がおぼつかなくなっていって、ふと気づいたときにはあらゆるものと疎遠に…みたいな、ちょっと情けない日々は相変わらずなんだけど。それでもこの、祈りにも似たすきの気持ちはいっときも消えなかった。あたたかな場所で、おだやかな気持ちで、よく眠れる夜がそばにあること。誰とおなじでもない自分自身の生活を愛していられること。マリウスくんがやりたいことをやりたいようにできる世界であること。とめどなく、大切に想いつづけてきた一年でした。
いつかの冬の日、SZ10THのブルーレイを再生したよ。
そっとしまっておいた記憶たちがいっせいにだばだばとこみ上げてきた。夢みたいな現実を目の前に、歓声というよりもむしろ嗚咽をもらさないようにすることのほうがたいへんで、でもここにある愛もきらめきもぜったい取りこぼしたくないよ、って必死だったあの時間。すごく前のできごとのように感じるのに、すべてが100の強さであふれかえってくるものだから到底かかえきれなくて、なんども停止ボタンを押さなくちゃだめだった。
ステージの上でふんわり笑うマリウスくんのことを思い出す。あまりにやわらかく笑うものだから、辺り一帯たちまち幸福に包まれていくようで。茶色い瞳が宝石みたいにきらきら光るのがすきだった。ぐるりと会場を見わたすときの、あのなんともいえないうれしそうな顔をみるたびにいつも泣きたくなった。
わたしは、Sexy Zoneが、ぎゅっと横一列で歩いていく姿にめっぽうよわい。ほんものの愛ってこういう景色のことを言うんだ、彼らが並んでここに居られてよかった、ってぐしゅぐしゅに泣きじゃくってしまう。
願いに満ちた、切ないほどのやさしい愛。
会場がオレンジ色の光に包まれる瞬間自然と滲むようにマリウスくんの存在を感じて、なんというか、心底安心した。
おやすみの期間にはいって以来、(ほんとのこと言うと)心細いきもちになるときもあったけれど、いろんなものをすこしずつ受けとめて、まっすぐに見つめて、そのうえでひとつの心配もないおだやかな信頼を向けつづけていられるのはとてもしあわせなことだなあと思う。信じる先にマリウスくんが、せくし〜たちが居てくれることがうれしくてありがたいです。
ほんとうに、きっと本当に奇跡みたいなめぐりあわせなのだよね。こちらの勝手な感情を押しつけるようなことはあまりしたくないけれど、でもきっと出逢うべくしてわたしはこの光に出逢ったんだろうなあと思わずにはいられなくて。
暗闇のなかでなんだか呼吸がしづらくなったときには、きまってマリウスくんのことを思いだした。それだけですごくほっとして涙がでる。ひとしきり泣いたあと、ただただ会いたいなあと思ったり、あなたみたいな人になりたいなと思ったり、もうすこしわたしもがんばりたいって自分のことを鼓舞したり。なんどもなんども読み返したのですこし跡のついた雑誌たちは、これからも心の拠りどころなんだと思う。マリウスくんの言葉は、ぜんぶが包みこむようにやさしくて真摯で、いつだってわたしのことを守ってくれた。
はじまりは幼いわたしの、ふり返ってみればずいぶんと単純なひとめぼれだったはずなのに、あのとき心惹かれたままなにひとつ揺らぐことなく、余すことなくすきで、もはや人生の指針(重)にまでなっているだなんてさすがに想像できていなかったなあ。
ずっと、ずっと、特別な場所に置いておきたい気持ちです。
歳をかさねるにつれて、永遠にかんする言葉を口にするのになんとなくためらってしまうことが増えたけれど、それでもいまのわたしが素直に、たしかにそうおもったという事実をこのさきも忘れずにいたい。いつか何かに終わりが来るとしても、この記憶は、愛しくてたいせつなものとしてきっと心に在りつづけてくれるよね。
わたしの目にうつるものも、うつり得ないものも。
いままでの軌跡やこれから選びとってゆく物事、そのどれが欠けてもあなたではないと知っているから、だから、こんなにもすきだよ、そこに居てくれてありがとう、とおもいます。
“ぼくは誰のものでもない(笑)”っていつかの言葉どおり、こう在りたいとおもう自分のことをいちばんに大事にしていられますように。たいせつなひとやあいするひとたちに囲まれて、心からすきなことをしていてね。
ほんとうにだいすきです。
いつもありがとう。22歳、おめでとう!
2022.3.30 mih